京都の春の風物詩 今宮神社のやすらい祭で無病息災を祈願する

今宮神社の「やすらい祭」は京都の三大奇祭のひとつです

玉の輿のお玉さん(徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院)で有名な今宮神社。
参道の「あぶり餅」が人気でいつも行列ができてますよね。

4月の第二日曜日に催される「やすらい祭」という無病息災を祈願するお祭りがあります。
京の三大奇祭のひとつで、鎮花祭とも呼ばれ、今宮神社の摂社・疫神社の祭礼です。
ちなみに、京の三大奇祭は由岐神社の鞍馬の火祭り、大酒神社(広隆寺)の牛祭と今宮神社のやすらい祭です。

「花傘に入ると一年間健やかにすごせる」「生まれたばかりの赤ん坊が花傘に入ると一生健やかに過ごせる」といわれています。
やすらい祭は「夜須礼(やすらい)祭」「安良居(やすらい)祭」「鎮花祭」「やすらい花」ともいわれ、国の重要無形文化財に指定されています。

この祭は、京の祭のさきがけをなす祭でもあり、この日が晴(雨)だとその年の京の祭はすべて晴(雨)と言い伝えられています。
今日は、数日前とは打って変わって寒い一日でしたが、雨が降ることはなかったので、今年のお祭りは晴ですかね?

今年、2018年は第二日曜日が4月8日になったので、お釈迦様のお誕生に行われる「花祭り・灌仏会」と重なり、今日は一日中あちこちでお祭りがありました。
ずーっとヘリコプターの音がしていました。
ちなみに、ヘリコプターが飛ぶのは御所に誰かが来られる時でしたが、最近では桜や紅葉のシーズンはずっと飛んでいます。

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「今宮神社 やすらい祭」の由来は?

今宮神社は794(延暦13)年の桓武天皇による平安京遷都以前から疫病鎮めのための疫神(えきしん)を祀っていた社があったといわれています。
994(正暦5)年、都の悪疫退散を祈り、神輿2基を造って船岡山に安置した紫野御霊会(むらさきのごりょうえ)を営んだのが今宮祭の起源といわれています。
その時、老若男女が船岡山に登り、綾傘に風流を施して差し立て、お囃子に合わせて鉾をふり唄い踊り、病魔の依れる人形を難波江に流したのがやすらい祭の起源といわれています。
しかし、1001(長保3)年に再び疫病が流行し、朝廷は疫神を船岡山の東(現在地)に移し、神殿を造営して今宮社と名付けたのが今宮神社の起源といわれています。

やすらい祭は、往古三輪大神など花を鎮め、疫神を鎮めるために営まれていた神祇官の「鎮花祭」と、後に厄疫を祓うために営まれた「御霊会」とが結びついた民衆の中から生まれた「花のまつり」だそうです。

春に花とともに疫病が流行し、これを疫神の祟りと信じ、花の精を鎮め無病息災を祈願したのが祭りの起こりと伝えられています。
花とともに飛び散る疫神を鎮めるためのお祭りで、花の散るころに行われます。
疫神は花の精におだてられていたずらをしてまわることから、やすらい踊りにより、疫神を花にみたてた花流傘(花傘)に惹き寄せ閉じ込めて紫野疫(えやみ)社に送り鎮めます。

午前中に神事が行われます。
上賀茂・下鴨・上野の氏子たちが小鬼、赤毛鬼、黒毛鬼、囃子方に扮し、太鼓や鐘を打ち鳴らし氏子地域を疫払いしながら練り歩き、やすらい踊りが奉納されます。
12時から光念寺にて、上野やすらい、出座祭(いでましのまつり)ののち出発。
15時頃、今宮神社にて、上野やすらい・川上やすらい神事が執り行われます。

神事を終えた小鬼、赤毛鬼、黒毛鬼、風流花傘持ちなど20数人が一組となって唄い、鉦を打ち囃し、それにつれて鬼4匹が踊り、町内を巡ります。
この習慣は中国の故事に習ったもので、病気は陰気にあり、陽気にかえて疫病を退散さすものと信じられ、鬼の衣装や風流花傘を陽気の赤色としています。
鉦、太鼓、笛などで囃すのも陰気を吹き飛ばし、花傘に疫病を閉じ込めてしまう意味を持っています。

行列は「先立」「鉾」「御幣持ち」「督殿(こうどの)」「羯鼓(かんこ)」「羯鼓廻し」「大鬼」「花傘」「音頭取り」「囃子方」と続きます。

町内を巡ってきた行列は、西から「川上やすらい会」、東から「上野やすらい会」が今宮神社にやってきます。
拝殿をまわり、本殿で奉幣神事を斎行した後、境内でやすらい踊りを奉納します。
川上と上野が拝殿をまわる方向も逆でした。

赤熊(ゃぐま)を被った鬼たちが鉦や太鼓を打ち鳴らして躍動的に踊る姿が見どころです。

なお、やすらい祭は雲林院の玄武神社、西賀茂大神神社、上賀茂神社にも伝えられています。

今宮神社に行く途中、大徳寺の近くで運良く玄武神社のやすらい祭の行列に出くわしました。

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