須賀神社の懸想文売りにあえるのは節分だけ

京都の節分といえば聖護院近辺です

節分ときいて思い浮かべるのは「豆まき」「いわし」「丸かぶり(恵方巻き)」
すべて食べ物でしたね(笑)

普段は落ち着いた雰囲気なのに、この時期にとっても賑わう地域があります。
それは聖護院近辺です。
この辺りの、熊野神社、吉田神社、聖護院門跡など、普段はひっそりとしているのに節分の間はすごいです。

節分といえば、豆(魔滅)をまいて疫病の象徴である鬼を退治し無病息災を祈願する追儺式ですが、須賀神社の節分祭はちょっと違います。

須賀神社の節分会は女性がいっぱいなのは何故?

須賀神社は、貞観11(869)年、今の平安神宮付近に創建されました。
しかし、度重なる戦火を避けて吉田山に移され590年間鎮座した後、大正13(1924)年に現在の地に社殿が建てられたそうです。

須賀神社で2月2日、3日に行われる節分祭は懸想文(けそうぶみ)を求める女性がいっぱいです。
懸想文とは恋文の代筆のことですが、縁談や商売繁盛の願いを叶えてくれるお守りでもあるそうです。

烏帽子水干に白覆面で顔を隠して目元だけを出し、右手に文を付けた梅の枝、左手に懸想文を持っているのが懸想文売り。
かなり怪しい姿ですよね。
昔は貴族がアルバイトで代筆をしていたので、身元がバレないように覆面をして顔を隠していたそうです。
この懸想文売りが二人組で境内を歩きます。

公家などの限られた人しか文字が書けなかった時代、恋文を代筆してもらうという商売がありました。
平安時代から始まった代筆業は江戸時代になると盛んに行われ、いつしか懸想文売り登場したそうです。
明治時代には廃れたものの、第二次大戦後、夫婦神が祀られている須賀神社で節分祭の間だけ復活したそうです。

求めた懸想文を人に知られないように鏡台やタンスの引き出しの中に入れておくと、着物が増えて美しくなり、良縁に恵まれるということです。

こんなことをして良いのかどうかわかりませんが、懸想文の中を見てみました。

前年の干支から今年の干支へのお手紙でした。

随分昔だし、時効かな?

 

須賀神社の豆まきはひと味違います

須賀神社では縁結びの神にちなみ、翁姿と媼(おうな)姿の追儺招福の豆まきが2日にあります。

こちらの豆まきは当たりくじ付きです。
まかれた豆袋が当たりくじの場合、その場で副賞がいただけます。
私も初めて豆まきに行った時に当たりました!
ビギナーズラックだったのか、それ以来一度も当たりませんが…
豆まきの前には、真剣での演武や吹き矢などもあります。

ひとつ注意点です。
須賀神社には隣り合わせで交通神社があります。
縁結びでのご利益をと思われる方は、須賀神社の方にお参りなさるか、交通神社と両方をお参りしてください。

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