京都に住んでいて感じるのは、桜の時期が長いということです。
TVではソメイヨシノの開花情報が流れますが、早咲きから遅咲きまで色々な桜が順番に花開きます。
川沿いや疎水沿いも桜の名所ですね…
まちなかを流れる堀川などは色んな種類の桜が植えられているので、自転車で通りながらのお花見が定番です。
川といいつつ途中で地中に埋まってしまうような溝みたいな川ですが(^_^;)
「千本えんま堂 引接寺(いんじょうじ)」ってどんなとこ?
桜に導かれて「千本えんま堂」へ行くと、見知らぬ人が「奥の普賢象桜がキレイですよ」と声をかけてくださいました。
「普賢象桜って?」と思いつつ、教えていただいた方へ進むと…桜以外にも観音像や石塔がありました。
「千本えんま堂」には何度か訪れたことがあったのですが、本堂にしか行ったことがありませんでした。
敷地もそれほど広くないので、奥にこんなものが隠されていたとは…
「千本えんま堂」ですが、正式には引接寺(いんじょうじ)だそうです。知らなかった!
百人一首の歌人・小野篁(おののたかむら)は、この世とあの世を行き来する神通力があり、昼は宮中、夜は閻魔の庁に仕えたと言われています。
小野篁は、閻魔様より現世浄化のために塔婆を用いて亡き先祖を迎える供養法を授かったそうです。
その根本道場として、朱雀大路の北側に小野篁が閻魔様の姿を刻んで建立した祠が「千本えんま堂」の開基だそうです。
この地は、「化野(あだしの)」「鳥辺野(とりべの)」と並び、平安京三大葬送地のひとつ「蓮台野(れんだいの)」の入口にあたるそうです。
平安京三大葬送地って初耳ですが、小野篁が定めたと伝えられています。
この辺りは今も多くの石仏群が出土するそうです。
「千本」という地名は、えんま堂から蓮台野へ亡骸を葬った際に建立された石仏や卒塔婆(そとば)が無数にあったことが由来だそうです。
寛仁元(1017)年、定覚上人(じょうかくしょうにん)が「諸人化導引接仏道」の道場にするべく「光明山歓喜院引接寺」と命名したそうです。
「引接」とは仏が引き接(つ)け導くという意味だそうで、「引導」と同じ意味だそうです。
象の鼻が桜の中にある!?
「普賢象」(ふげんぞう)と呼ばれる八重桜ってどんな花?
実は「普賢象桜」って初耳でした。
見たことはあっても八重桜の一種くらいで…
ちょっと調べてみました。
染井吉野の後に開花する遅咲きの桜で、八重桜では日本最古の品種だそうです。
室町時代からある品種で、鎌倉・材木座の桐ヶ谷にあった普賢菩薩を祀っている堂の横に咲いていたことから「普賢堂」と呼ばれるようになり、のちに「普賢象」と呼ばれるようになったそうです。
それと次の方が一般的な説のようですが…
花の中央に象の鼻に似た緑色の「変わり葉(雌しべが変化したもの)」が2本長く突き出ています。
これを「普賢菩薩」が乗る白い象の鼻(牙)になぞらえて「普賢象(ふげんぞう)」と名付けられたそうです。
まわりの白い花弁も象の耳に見立てているという説もあるそうです。
ちなみに…「象の鼻」がない花もあるそうです。
ここ「千本えんま堂」の普賢象桜は、朱雀大路頭(すざくおおじがしら)船岡山の刑場の麓に植えられたここ発祥の桜だそうです。
この桜は花冠のまま落ちるので、さながら斬首される囚人の姿に似ているので中世の所司代は、この花を獄舎の囚人に見せて仏心を起こさせたと伝わっているそうです。
応永15(1409)年、後小松天皇の薦めでこちらを参拝した将軍・足利義満は境内に咲き誇った桜に感嘆したと伝えられており、狩野永徳の「洛中洛外図屏風」にも描かれているほど古くから有名だったようです。
全然知りませんでした(^_^;)
4月の末に「えんま堂」によってみたら、少しだけですが藤がキレイに咲いてました。
桜も場所によっては満開で、桜と藤の共演です。
普賢象桜ってよく知らないんですが、花ごと散っているみたいです。
なので咲いている桜と散っている桜も見事でした。
千本えんま堂 引接寺(いんじょうじ)
京都市上京区千本通廬山寺上ル閻魔前町34
電話番号 075-462-3332